私の政治の原点

私の政治の原点は、2011年の東日本大震災です。

当時私は佐賀県のラジオ局で記者アナウンサーとして働いていました。

「佐賀県において私たちが出きることは何か」を考えたとき

県庁一階広場に取材に行くと、県民からの支援物資の山ができていました。

日に日に大きくなる様子を見て私は感動しました。

県民の皆さんの東北への思いがまさに山という形となっていたからです。

わたしはその様子を連日、夕方ニュースでお伝えしました。

ふつうラジオ・テレビでは、一度取り上げたニュースを取り上げることはありません。

しかし、わたしは大事なことだと判断し、必要な物資は日々変化して行くため、その内容をお伝えしました。

例えば当日不足していたトイレットペーパーが翌日には増えすぎたり、

食料が余っていたら、数日後には急にゼロになったり。状況は刻一刻と変わります。

有事にメディアの伝え方も同じはずであってはならないと確信しました。

物資を持ってきた県民の皆さんの行動が無駄足にならないように、

またどの物資を持っていけばいいかと考える人への判断材料として、

さらに物資を持っていこうか検討中の方への呼びかけも含めて

情報整理する必要がありました。

もちろん県庁ホームページでも情報は公開されていました。しかし、それに加えて、

ラジオが音声として幅広く情報を周知できると察知しました。これにより、物資も無駄なく効率的に、東北にお届けすることができました。

また、物資の数だけでなく多くの県民の皆さんが協力してくださっている事実を伝えたい思いもありました。

支援物資を持ってきた女性は「お互い様だから」と話していました。

報道は、事実を伝えることが使命ですが、支援の輪が広がったことを心から嬉しく思いました。

また、知事や県庁の危機管理室の職員の素早い対応にも注目し、感心しました。

遠く離れていても、思いを届けたい人がいて、行政はそれを全国と繋げて人の暮らしを支えることができるのだと思いました。

わたしは、有事の時には多くの協力を要すると学びました。そしてメディアを含めて、様々な職種・機関が連携しながら判断をし、迅速な対応をすることも体験しました。

佐賀県では議員と有権者がよく田んぼで話し、議論をかわしていました。それほど政治とは身近で開かれた世界であり、東京でもそうあってほしいと願っています。

東京に来て7年。小池塾1期生として都政を学びました。東京は、世界有数の国際都市であり、スウェーデンに匹敵するほどの財政規模があります。とても豊かな都市であり人口も世界でトップクラス。だからこそ、このコロナ渦においては尚更、よりきめ細かな対応を意識し、より有権者の声をきき、行動することが、今求められていると思います。

コロナ渦で「税金をどのように使うか」知恵を出し合い、無駄なく使う。それが本来の民主主義の姿であると信じています。当たり前のことを当たり前に迅速に行う。

わたしは記者アナウンサーとしての経験を活かし、立川のみなさんと都政の懸け橋になりたいです。コロナに打ち勝ち、有事のこのときを一緒に乗り越えましょう。

いしとび かおり